2015年07月30日

聖徳太子の正体 勝鬘経 法華経

聖徳太子の正体
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見過ごせない記述がある。

 「推古十四年、太子が勝鬘経と法華経を説いた恩賞として、推古天皇が播磨国の水田百町を太子に送り、斑鳩寺に納めたという記述があるが。。」

 本では、その寺の場所を探している。こちらでは、「推古十四年、聖徳太子が、勝鬘経と法華経を説いた」ということを確認しておく。

 。。推古11年が603年だったはずだ。。14年は、606年。

 いや先達には申し訳ない。。自分はここではじめて経典の名を歴史の話で具体的にきいている。

 まあ、あまり考えるとよろしくない。その記述がこの本にある、という確認のみに留めておく。
posted by mon at 00:11| Comment(0) | 日記

2015年07月29日

冠位十二階 603年 推古11年

 まあ自分はこのへんはおもしろがっているだけなんだが。。

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この本から、
http://bunken.sblo.jp/article/157565479.html

 「冠位十二階もこの本にある。推古11年603年制定とあった」-----A

また、

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この本から、
http://bunken.sblo.jp/article/157799461.html

 こちらには記載していないが、
「十二階の冠位を発布したのは推古11年(603)だから」----B

とある。

 そこで、AとBから、どうやら「冠位十二階 603年 推古11年」というのを同定した、ってことになる。

 これは。。友常貴仁さん。。友常貴仁師と書いていいぐらいだ。。と、小林恵子先生がそう言っているからであって。。それを「すいすい暗記 社会」でみて納得している。

 したがって、「すいすい暗記 社会」のこの記述に一切の誤謬はない、と考えられる。

 それでも情報は、三つ、しかみていないし、異論もみていない。

 自分の考え、が入り込む余地はない。

 したがって、これは事実としていいだろう。。って考えるんだが。。意外におもしろいな。。

 すると、やっと「ろっぴゃくさんねん。。 603」と覚えられる。まああんまり賢くはない。

また。。隋書 東夷伝の話もある。小林恵子先生もそう書いているが、ずれはあるらしい。

 http://bunken.sblo.jp/article/157040524.html

 しかしこの小説のこのエピソードで納得できる。情報の4つめ。。

 もちろん、これは「十七条憲法」の話である。もっとも二条にあったそれは、明治の「廃仏棄釈」1868年ごろらしいが。。で覆えされてるわけだが。。

 このそれを。。仏教の本で追ったときに、どんな記載がでてくるかご存じだろうか。。自分はうろおぼえなんだが。。

 自分の考えなんて容れる余地があることではないから、事実を確認していくのだが。。。

posted by mon at 13:55| Comment(0) | 日記

聖徳太子の正体

聖徳太子の正体
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P93 「隋書 東夷伝によると。。」

とある。これは。。

風よ万里を翔けよ
http://bunken.sblo.jp/article/157040524.html

 の時代。。

 「隋書 東夷伝によると開皇20年(600年)条に倭から使者が来たという記事がみえるが、同時に倭国の冠位十二階を紹介している。〜」

 そこからこの本はこの歴史を照合している。多少ずれがあるようなのだった。しかし冠位十二階は、
 
 すいすい社会
 http://bunken.sblo.jp/article/155931528.html

 の、聖徳太子、の項に当てはまる。それは、

 http://bunken.sblo.jp/article/157565479.html

 であった。

 つぎの章が、「聖徳太子の正体」という章である。

 もうひとつ。。P93から。。

 「サマルカンド(康国)の郊外にあるソグドの都城跡アフラシャブの壁画(描かれたのは七世紀末)が、1965年に発見されたが、中国人や東トルキスタン人に混じって高句麗人が描かれていた。」

 600年の話なのだが。。そうだったらしい。。1200年頃。。耶律楚材に、「サマルカンドの詩」がある。「河中府」とあったはずだ。。

 

 本が変わってしまっていて。。たぶんこれだな。。

 
posted by mon at 11:59| Comment(0) |