
P93 「隋書 東夷伝によると。。」
とある。これは。。
風よ万里を翔けよ
http://bunken.sblo.jp/article/157040524.html
の時代。。
「隋書 東夷伝によると開皇20年(600年)条に倭から使者が来たという記事がみえるが、同時に倭国の冠位十二階を紹介している。〜」
そこからこの本はこの歴史を照合している。多少ずれがあるようなのだった。しかし冠位十二階は、
すいすい社会
http://bunken.sblo.jp/article/155931528.html
の、聖徳太子、の項に当てはまる。それは、
http://bunken.sblo.jp/article/157565479.html
であった。
つぎの章が、「聖徳太子の正体」という章である。
もうひとつ。。P93から。。
「サマルカンド(康国)の郊外にあるソグドの都城跡アフラシャブの壁画(描かれたのは七世紀末)が、1965年に発見されたが、中国人や東トルキスタン人に混じって高句麗人が描かれていた。」
600年の話なのだが。。そうだったらしい。。1200年頃。。耶律楚材に、「サマルカンドの詩」がある。「河中府」とあったはずだ。。
本が変わってしまっていて。。たぶんこれだな。。