
見過ごせない記述がある。
「推古十四年、太子が勝鬘経と法華経を説いた恩賞として、推古天皇が播磨国の水田百町を太子に送り、斑鳩寺に納めたという記述があるが。。」
本では、その寺の場所を探している。こちらでは、「推古十四年、聖徳太子が、勝鬘経と法華経を説いた」ということを確認しておく。
。。推古11年が603年だったはずだ。。14年は、606年。
いや先達には申し訳ない。。自分はここではじめて経典の名を歴史の話で具体的にきいている。
まあ、あまり考えるとよろしくない。その記述がこの本にある、という確認のみに留めておく。
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