第15章が結論ともいえる章かもしれない。それがロジカルに書かれることに多少の困惑はある。
第15章 チェルノブイリ大惨事の25年後における住民の健康と環境への影響
15.9に結論とある。1963年7月の演説が結論としても挙げられている。
大気中核実験廃止の必要性を説く演説があった。
「 日本語版あとがき チェルノブイリからフクシマへ」
「主要用語解説」
「後記、謝辞」
とあるのだが。。
全体をみてきたわけである。
チェルノブイリの被害 鉛
汚染
環境
防護
しかし、最初にみたところといささかも変わらず立ちつくすところはそう変わりがない。
しかし、
ナターシャ
この25年前の、8000キロ離れた地の原子力発電所の事故が、それは「故郷の森」だったことをやっと理解したぐらいである。
そしてその影響が、
「1986−1988年まで、日本で汚染が観測された」
ということが事実のひとつとして確認できる。ここから、自分は「2年の強力な半減期のエネルギーを閉じ込めるための多大な犠牲があったにちがいない」と考える。それは、この本で、25年後も解決はしていない。
距離について「8000キロ」、時間について「25年後」も解決し得なかった事故と捉えざるを得ない。
。。したがって。。
ここについて単純な「策」はなにも言えることがなくなってしまう。
実験棟のエリアで封じ込めているそれではないわけである。テーブルの上のK40やラドンなら、鉛のブロックとアルミ箔で防護できるのかもしれない。吸わないこと。。
それが「8000キロ」と「25年(以上)」というところで「何ができるのか」と言われても困惑するしかなくなってしまう。
ここから
東京が壊滅する日
をみれば。。220キロ。。東京まで200キロ。。。8000キロはもっと大きい。。距離などはあまり関係もない話である。
すると思い出した本が、
41歳寿命説
だったが。。もう1963年の演説でそれは指摘されていたようだった。
複合汚染を警鐘したカーソンの話を理解しておくことは必須と考えられるが。。
西丸震也さんや丸元淑生さん、武谷三男先生のはなしをいまのところ、拠り所にして検討するしかないように思われる。
難しい医学薬学の知識がなければ身を護れないなんてことはあるまい、と考えているけれども。。あったほうが効果的ではありそうか。。
しかし、すると医学や薬学ってのはなんだ?っていう根本的な疑問にすらはまりそうである。結果としての提案が「これを食べたらいい」ぐらいではいささか。。さらに困惑が深まる。
行うことが、「肉野菜魚を、どこかで、手にとって、運んできて、調理する」「水を飲む」「空気を吸う」ということのために、様々な検討をする必要が起きてしまう、というのは何か顚倒してるとしか思えないわけだが。。
そういう時に、丸元淑生さんの話はきくところであり。。西丸震也さんの話はきくところで、武谷三男先生の話もきくところだろうと考えている。
...しかし。。これだけみてきて、二つ疑問が発生する。
一つ目は、「医学薬学化学はこの事故について、ほとんど予防を得られていない」という事実である。もちろんその点は自分が言及するところでもなく、また勝手に個人的に対策すればいいことである。それにしても。。「ただ観察」だけして「りんごのペクチンがなかなかよい」ぐらいの検討でしかないわけである。だとしたら。。って、普通考える。
もっとも楽観論に比べてまだ「防げた」ことがあったとは考えられるが。。現実問題として8000キロ離れたところでさえ影響があった事故、という事実は押さえておかないといけなさそうである。
二つ目の疑問は、膨大な書物であるのだが「重水素と三重水素」の話や、一般的である「鉛中毒」「水銀中毒」「カドミウム中毒」の対策がいまひとつ少ない。まあトリチウムや重水素の話がないのは、モデレータ。。減速材が「黒鉛」だったことに由来するんだろう(これは鉛でなく、炭素だそうであるが。。みたことがあるわけではない)と、勝手に考えておくが。。いささか。。初動という面で。。最初の高エネルギーの2年間のはなしが少ないように感じられる。そこで防いでおくのが通常の考え方のはずだが。。
「あとがき」をみたときに、この話が抜けるのは単純な比較ができようがない、ということを示しているように思われる。まあ詳細にみたわけではないから、ずっと読んでいればあるのかもしれないのだが。
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